| NO | [総目次] |
|---|---|
| 1 | 1. 乳幼児の時代 2. 子供時代の遊び一覧表 A 追伸 3.子供時代の遊び一覧表 B 追伸 4.《投稿による》子供時代の遊び一覧表 C |
| 2 | 1.梅雨と田植えなど 2. 戦時下の食糧事情 3.食糧買出しの人たち 4.ウサギ飼い 5. カンやんとこの洋食など 6. 戦時中の砂糖や食用油の自給 7. 川原に降りた戦闘機など |
| 3 | 1. 夏の水泳など 2. 潅漑用の池 3. 自転車乗りの苦労話とその効用 4. 新聞配達 5. 賭け事嫌いのもと |
| 4 | 1. 高野営林署とその土場 2 .ホタル捕り 3. 池エビ捕り 4. 暗闇と昔のトイレ 5.井戸からの水汲み 6. 木炭で走る自動車など 7. 独居の爺さん、しょいっちゃんの話 |
私が物心づいたころの最初のショックは、同い年くらいの近所の男の子の遊び連れが、
2人も、2,3歳で亡くなっていたということである。
後に親や近所のその子達の親から聞かされたのであるが、2人とも病死であったらし
い。とすると、私は、近所では3分の1の確率でやっと生き延び、成長したことになる。
実際、私が育ったころでも乳幼児の死亡率は、とても高かったようである。私の幼時
の記憶からも、近所で前記の2人以外にも、3人は、確実にその死亡した姿を目撃した。
私は、母と一緒にその家に悔みにいった。子供さんの親達がその亡くなった子を前に
して泣いているのを、今でも、おぼろげに思い出す。
その頃は、まだ太平洋戦争が始まっていないときで、時代は割りと落ち着いていたが、
日本全体として、古来からの乳幼児の死亡率の高さが続いていたようである。
〜 〜 〜
幸い生き延びた私自身も、実は1歳のころか、伝染病ジフテリアで死にかけた。母の
必死の一念で、一か八かで診てもらった学文路(かむろ)の水落医院で、やっと血清が間
に合い、一命をとりとめたという。九死に一生であったと、母や姉によくその話しを聞か
された。
自分の兄姉が3人も、乳幼児で亡くなっているから、自分もあの時、存在があっさりと
消えていても何ら不思議ではなかった。
これが、私の生の第一番目の関門であり、私が生き延びて普通の社会人、家庭人として
生活してこられた不思議さの発端である。
そしてまた、私が、自分の人生をいつも貴重な余生と感じてきた根拠でもある。
さて、読者の皆さんの「生」は、いかがなものでしょうか。私に関するかぎり、今生き
ているのは、全く偶然の好運といえるもので、誠に貴重です。全てにありがとう。
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昭和13〜22年(1938〜47年)頃を中心とした、和歌山県
九度山国民学校(九度山小学校)区内のもの。思い出すまま
で順不同。私の家内の協力を得た。男女は大体の分類。
表記なしは一般用。
地方により名称や遊び方に違いがあると思われます。
参考になることがあれば、お知らせください。(HP管理人)
| No | 名 称 | 簡単な説明 |
|---|---|---|
| 1 | 凧揚げ (男) | 冬の西風の強い頃のおきまりの遊び。
金時、やっこ、軍服を着たノラクロなどのタコに長い足ヒレを二本つける。それを
小高い丘の上から飛ばす。 大空に舞うタコ、少年時代の夢と憧れをのせ見上げる。 とたんに、糸が切れ、追いかける。戦時中の母の裁縫箱の糸は、弱かった。 (なお、私の子供達の凧糸は、ナイロン系でいくら伸ばしても切れなかった) 初等科2年のとき授業で凧作りをした。組立てセットで菱形の小さいのを作るもの。取り付け糸は、上下の2点式。しかし、左右のバランスがむつかしく、うまく飛ばせない。 凧揚げ経験豊富な私は、取り付けを3点式に改良。そしたら、うまく飛び、運動場で高々と揚げて見せた。先生や級友も感心していた。 |
| 2 | 鬼ごっこ | 方言では、「おわえごく」。追いかけ触ると鬼を交替。 |
| 3 | かくれんぼ | 鬼が10よむ間に隠れる。見つかると鬼になる。やり直しのときは「ナガセ・・・」と叫ぶ。かくれごと、かくれ鬼、とも言った。 |
| 4 | けん(面子)(男) | 方言では「ケン」。絵入りの分厚い、丸、四角のものを地面や板などの上で打ちつけ合い、ひっくり返せば獲得。技術を競った。 |
| 5 | カッチン玉(ビー玉)(男) | .地面に描いた四角い枠の、上端に置かれたラムネ玉を狙い、当てると獲得(ホンマとウッソがあった)。学校の遊び時間には、その技術を競った。上級生の素晴らしい技は、観るのも楽しかった。 |
| 6 | 将棋(駒崩し) | 田舎では、本将棋は子供は知らず。盤上に駒を積み上げ、音を立てないで順番に取りあう。少しでも倒れた音がすると、交替。駒に全て金額がつき、計算で多額のものが勝ち。 |
| 7 | 将棋(角回り) | 金の駒4枚を順番に振り、その形で数を決め、歩から順番に盤の周囲の筋をまわり、前進で角の枠に入れば、昇格。振り駒を盤下に落せば、数だけ後退。角枠にハマルと降格。直前に駒が来たら後退(プンコ)。逆さのピンコ立ち以後の昇格は、覚えていない。 |
| 8 | 釘立て(男) | かなり長い釘(10〜15センチくらい)を、柔らかい地面に投げて打ち込み、遊ぶもの。地面に、ラセン形に中心に向かう通路を描き、そこへ順に釘を打ち込み、先に中心に達したら勝ち。通路の中に正確に立て、次第に中心に向かう。それたらパス。稲刈りが済んだ田圃は、具合がよかった。 |
| 9 | ビン漬け(男) | 川底に瓶をつけた手作りの木箱を沈めておき、小魚を獲る。大人の真似。 |
| 10 | 雪すべり | 竹でスキー用のソリを、またキンマ(木馬)と言って座って滑れる小さいソリを手作りし、偶の雪の日にすべった。年に1,2回あるかなしであった。雪が積もれば大喜び、山道へすべりに行った。 |
| 11 | 荷車作りと柴し(男) | 私達は「ジゴ」と言ったが、牛に牽かせる荷車を真似て、小さな子供用を作り、連れ立って山に薪を採りにいく。車輪は、丸太を輪切りにしたもの。丈夫なのを作るのに苦心した。 |
| 12 | 独楽回し(男) | 市販のコマで、ヒモで回すもの。タタキゴマといって、手製のコマをムチで叩いて回すものの2種類。(男) |
| 13 | 輪回し(男) | 主に金属の輪を後ろから物で押して、回しながら進む。 |
| 14 | 竹馬 | 2本の竹竿に足置き台をつけ、それに乗って両足で歩く。乗る位置が高いほど技術が上。主に男。 |
| 15 | 縄跳び | 一人跳び、集団跳びなど。遊び唄あり。「郵便や配達や.....」「大波、小波....」ほか。主に女。 |
| 16 | ケンパー | 地面に描いた四角の中を適当な図形に仕切り、各自の玉を適当な枠に投げ入れ、そこを避けて両足、または片足で跳びながら進み、また元に帰る。主に女。石蹴りは、下記55で。 |
| 17 | イッキンショ(女) | お手玉ともいう。小豆などをいれた数個の小さい布袋を、片手または両手で上に放り上げて遊ぶ。遊び唄に合わせるのが主。(女) |
| 18 | ハジキ(女) | 何個かの小さい平らなガラス玉などを、主に親指ではじいて当てる。 |
| 19 | 貝(女) | 何個かの小さい貝殻を両手に包み、振って落とし裏表を競う。 |
| 20 | 花草遊び | ヒガン花の提灯やロウソク。 クローバーの冠。 いたんぼの水車。 タンポポの冠、うずまき、笛。 かなめ新葉の笛。 カラスの豌豆の実の笛。 スズメの鉄砲の笛。 チワの矢。 笹の針芽の亀、笹船。 麦ワラの籠。 蚊帳つり草の蚊帳。 オヒシバの引っ張り合い。タバコ草。ツクシ採り。 |
| 21 | マリつき(女) | 遊び唄あり。 |
| 22 | ゴム跳び(女) | ゴム糸を張っておいて、跳び越える。だんだん高さを上げる。 |
| 23 | 折り紙 | 今と同じ。男は、カブト、飛行機、紙鉄砲をよく作った。 |
| 24 | アヤとり | 糸、細ヒモ類を輪にして形を作る。一人でするか、又は二人で取り合う。主に女。 |
| 25 | おかた(女) | 人形遊び。 |
| 26 | かみさん(女) | ママゴト。 |
| 27 | カン蹴り | カンを蹴るのと、鬼ごっこの組み合わせ。 |
| 28 | 陣とり(女) | 地面で小石をはじき、自分の領地を広げる。 |
| 29 | 位とり | 学校ではやった新遊び。戦時中、疎開の転入生が伝えたもの。 |
| 30 | ドッジボール | 学校でよくやった、ボールを投げ当て合う遊び, 球技。 |
| 31 | 採集 | シイの実拾い。ドロミ(桑)の実とり。グミ、ハナンキョの実採り。山ビワの実採り。イタドリ(イタンボー)とり(茎の皮をむき、塩をつけ食べる)。ミカンの取り残しとり(収穫後の山の畑へ集団で行き、多さを競う。主に男)。 野イチゴの実、槙の実、よの実とり。笹の芽の柔らかい部分を食べる。樫、ホソの実、ドングリ拾い(戦時中は、学校の課題で集めて提出。食糧にしたとか)。馬草刈りやヒメンジョの皮(学校の課題)。土場で木の皮拾い(風呂柴集め)。 |
| 32 | 虫捕り | カブトムシ、カナブン、クワガタ(クヌギの木で)。ホタル(ホ、ホ、ホタルコイ、・・・の唄をうたいながら。別記)、トンボ、セミ、チョウチョ、バッタ、オンメ、キリギリス、イナゴ(戦時中は焼いてよく食べた)など。 |
| 33 | 釣り・網すくい | 池では、フナ、モロコ。川では、ジャコ、ウグイ、ゴリ、ネホなど。溝ではメダカ、タニシなど。水田では、蛙、お玉ジャクシ(ガエルゴ)など。 |
| 34 | 羽根つき(女) | 正月ごろ。 |
| 35 | すごろく | 置き薬屋や雑誌の付録などで手に入ればよくやった。 |
| 36 | 花いちもんめ | 2列に並び、向かい合って唄をうたいながらする。主に女。 |
| 37 | ダルマサンガワロタ | 鬼が目隠しをし、10数える間に、皆がこっそり近づき鬼の柱にタッチすれば成功、失敗すれば交替。 |
| 38 | カード遊び | カルタ取り。トランプ。 |
| 39 | 紙風船つき(女) | 置き薬屋がくれたら。戦時でだんだんくれなくなった。 |
| 40 | かごめ | 後ろの正面だあれ。遊び唄あり。 |
| 41 | 五目並べ | 碁盤と碁石があればやれた。田舎では、将棋ほどはせず。 |
| 42 | 下駄かくし | 皆が履物を片方ずつ出して隠し、鬼が探し出す。遊び唄あり。 |
| 43 | 鉄砲遊び | 竹筒で紙鉄砲、杉鉄砲、水鉄砲を作り、遊ぶ。主に男。 |
| 44 | 雪遊び | 雪の少ない紀州では、たまに積もれば、雪合戦、雪ダルマ作り。 |
| 45 | みどり(女) | 松の宿木であるミドリの実を噛み、チューインガムのようにして遊ぶ。 |
| 46 | カン乗り | カンヅメの空きカン2個にヒモをつけ、紐を持って履物のようにして歩く。 |
| 47 | バイ(貝)(男) | 少し年上の男子のコマ遊び。鉄の小さな貝型の独楽を、箱にゴザを入れ、くぼませた中で回し、戦わせる。弾き出されると負け。戦時中は、鉄不足で店に売っていないので、はやらず。 |
| 48 | 自転車 | 別記を参照。実用でもあった。 |
| 49 | トロッコ(男) | 別記を参照。土場(貯木場)のトロッコ。こっそりとだが、乗りたくてたまらない。 |
| 50 | 川遊び | 別記を参照。腕白ドモらは、紀ノ川を流れ下る筏の後尾によく乗りに行った。 |
| 51 | ラジオ作り(男) | 戦後、中学1、2年の頃に友達と熱中した。少しの小遣いでは部品を買う資金が続かず。新しのは作れず、バラしたり組んだりばかり。今も大きな真空管を見ると懐かしさがコミ上げる。 |
| 52 | 野球(男) | 戦後、新制中学生の頃に熱中した。草野球やチームを組み地区対抗試合など。「63制野球ばかりが強くなり」時代。寺、神社、土場など、あらゆる空き地を利用した。ソフトボールもした。 |
| 53 | パッチン | 石弓。又になった小さな木の枝に、ゴム紐をつけたものを手作りし、小石を飛ばす。主に男。 |
| 54 | 土手の草すべり | きつねのカミソリが生えている田畑の土手で、順番にすべり降りる。主に幼児。 |
| 55 | 石蹴り | 地面に描いた丸や四角などの中を、玉(適当な小石やガラス玉など)を片足(ケンケン)で蹴りながら進み、また帰ってくる。主に女。 |
| 56 | ジャンケン遊び | 一般にグー、パー、チョキ(石、紙、はさみ)で勝ち負けを決める。また、勝った者が、グー、パーなど言いながら、急に3つのどれかを出し、相手も同じ形を出せば勝ち。勝負がつくまで交互にする、という遊びもあり。グっせ、パっせ、チっせ、とも言った。戦時中、疎開の転入生が伝えたか。 |
| 57 | 飛び合い | 砂場などで、立ち幅跳びや鉄棒からの飛び合いで距離を競う。 |
| 58 | 指切り | 子供らが約束ごとのとき小指同士でよくした。唄あり。「指切りゲンマン、ウソついたら針千本飲まそ、、」 |
| 59 | シリとり | お決まりの言葉のしり取り遊び。 |
| 60 | 竹トンボ | 大体は手製で、竹でプロペラを作り、その真ん中に回転用の軸をはめ込む。プロペラは、回転により飛び上がるように作らねばならない。ちょっとした技術が必要。 |
| 61 | 模型飛行機作り | 戦時中、国民学校の教材として、木製の模型飛行機作りが授業であった。完成後、運動場で一斉に飛ばす。下級生は、上の学年の高等な飛行機を羨ましげに見る。また、それをきっかけに店でいろいろな模型飛行機の材料一式を買い、組立てる。プロペラを回すのにゴム紐が要ったが、戦時中によくも出回ったものだ。勿論、戦争末期にはできず。木で軍艦も作った記憶あり。![]() |
| 62 | 未記入 | 。 |
一覧表への追伸
Jさんへのメールから---- 近頃の子供の遊びのことなど
今は、子供の遊びも相当変わっているでしょう。全体として、
子供達は、遊ぶ時間が少ないし、その相手、仲間も少なくなって
いるようですね。
その結果、「遊ぶことによって学ぶ」ことができない不幸も
あるのではないでしょうか。すぐ、カットなったりする原因も、
遊ぶ中でのエネルギー発散、仲間との触れあい、その中での
振舞い方の学習、特に喧嘩、仲直りなどの経験が少ないからかも
しれませんね。
また、私の場合、遊びを通じての諸技術の習得は、一生の財産
として残っています。遊びの全てに、子供が成長し、社会で生活
するうえでの貴重な経験が詰まっていたように思います。

| No | 名称 | 簡単な説明 |
|---|---|---|
| 1 | 神楽まわし | 毎年5月頃、どこからともなく、村里を家毎に回る神楽の笛の音が、風に乗ってやってくる。子供たちは、何かに誘われるように、各戸を回る神楽まわしの一団に、どこまでも付いていく。 神社などで興行のあるときは、最初から最後まで熱心に見る。そして、神楽回しや曲芸に感心し、真似っさん(オドケ役の人)の可笑しい仕草に笑いこける。
日本古来からの伝統的な大衆芸能の集約、神楽まわし。いつまでも遺ってほしいものである。(参考)伊勢神楽・丹生官省符神社で奉納のもの。高野口・小田神社の「もののべ神楽」 |
| 2 | いかけや | 鋳掛屋。なべ、カマ、バケツ、金だらいなど何でも器用に直す。その間に子供らにいろいろ話して聞かす。ジュウというハンダ付けの匂い。修理技術の目学問。 |
| 3 | ハマ直し | 下駄のハマの減ったのや鼻緒を見事に直す。下駄が見事に目の前でくるくる回る。見る見る修理完了。 |
| 4 | 傘修繕 | 「かさ修繕、コウモリガサ修繕!」 骨の折れた傘もいつのまにか直る。 |
| 5 | ラオ屋 | タバコのキセルを修理。巡回の回数が少なかった。 |
| 6 | 自転車屋 | パンク、タイヤ修理などのとき、またそうでないときにもよく観た。諸道具の使い方の学習の場。 |
| 7 | 木箱打ち | 選果場でミカン、柿用の木箱を釘で打ち、組み立てていく。その釘打ちの正確さとリズム、箱が空中で舞うのを見とれている。見物の輪になった子供らに、いろんな話を聞かせてくれる。 |
| 8 | 丸太積み | 土場で大きな丸太を数人で山と積み上げたり、下ろしてトロッコに積んだり。作業唄を唄いながら、見事にやる。 また、牛に牽かせた荷車にも積み、高野口駅まで往復していた。 |
| 9 | 秋祭りの店など | 九度山・慈尊院の官省符祭りに、神輿は、もちろん、店や大道芸人さんらの芸をみるのが最大の楽しみ。 但し、戦後すぐのインチキトバク団には、参った。 |
| 10 | 林産化学や製材所 | 九度山町入郷の営林署土場の西端に、林産化学という工場があり、廃丸太や木の切り株をを利用し、パルプ、松根油を作っていた。その工場を外からのぞき見る。(しかし、戦時中にその工場は、何故かたびたび火災が発生して、丸焼けになった。)
また、近くに製材所があり、木材の加工を遠くから見物。 |
| 11 | インチなど | 営林署の土場で、トロッコを牽く機関車(インチ)の始動、修理など一部始終を遠近から見物。ある年、汽車が入ったが、実用にならず。同鉄工所で各種旋盤や電気炉も見物。 |
| 12 | カンやん店 | 別記で詳説。カンやんの洋食は、見ているだけでも美味しかった。 |
| 13 | ポン菓子屋 | 家の近くの道端によくきた。必ず、米か豆で作ってもらう。戦時中の最悪のときは、カマを炭火で熱し、塩で味をつけた。「エイ!」の掛け声で、子供らは一斉に耳をふさぐ。「ポン!」。ザル一杯にふくれたのを急いで家に持ち帰り、また見に来る。 |
| 14 | レコード・ラジオ | 近所に電蓄や蓄音機のある家があり、そこで童謡や歌謡曲、ニュースなどを聴かせてもらう。後には、家のラジオで聴いた。 |
| 15 | 筏作り | 高野営林署の土場から紀ノ川や支流の丹生川に丸太を落とし、それを筏(イカダ)に組んでいた。適当な数の丸太を並べ、カズラなどでうまくつないで組み上げる。 また、上流からも夏など、毎日のようにイカダが流れ下る。 |
| 16 | サーカス | 紀ノ川の川原に大きなテントを張り、興行していた。「かりばた」ともいった。 |
| 17 | 映写会 | 九度山国民(小)学校の講堂で、全校生徒が映画を見る。月に一度ほどであったか。先生が活弁をつとめる。戦争中もあった。マンガ映画の面白かったこと。学校での最大の楽しみ。 |
| 18 | グライダー | 戦時中、旧伊都中学グライダー部の練習を見る。九度山町の川向かいの紀ノ川原にグライダー(滑空機)の格納庫があり、放課後に部員達が来て、号令をかけながら綱を引き、飛ばせていた。 |
| 19 | 戦闘機など | 戦時中、九度山町慈尊院の紀ノ川川原にあった小さな飛行場に不時着した戦闘機などを見る。 詳細は別記参照 |
| 20 | 職人さんの手工芸 | 私達の子供の頃には、竹細工、桶作り、大工、左官、指物師、鍛冶屋、傘屋、和洋の仕立て屋、鉄工所などの手工芸が、まだ盛んであり、その職場に行けば、熟達した職人芸を見物できた。巡回職人ほどの回数ではなかったが、機会あるごとに子供達は、見物したものである。これらの多数が、今見られなくなっている。 |
| 21 | 農作業 | 私自身、農村育ちで家業が農業であったので、当然、幼少の頃より、農作業は、日常茶飯のことであり、また実習を伴っていた。農機具の扱い、耕運、施肥、草取り、播種、収穫など皆実習であった。中学生頃には、牛使い、脱穀機、発動機操作なども時にはした。しかし、果樹剪定だけは、子供にはさせてくれなかった。 |
| 22 | 未記入 | 。 |
子供時代に体験した「遊び」を思い出して並べてみた。出てくる、 出てくる。自分でも驚くくらいある。幸いまだ、大まかなところは、 あまり忘れていないようである。 もちろん、女の子のものは、幼い頃、姉らが遊んでいた中に「蝿の 子」で仲間に入れてもらって覚えたが、その数はごくわずかで、大部 分は、家内の提供による資料によった。 こんなに多くの遊びを通して、自分は育ってきたのかと、この歳に なって今さらながら驚いたり、一緒に遊んでくれた仲間に、また、腕 白ドモを暖かい目で見守ってくれていた大人の人達に感謝するばかり。 まあ、言うなれば、家庭、学校、遊びの諸体験、これらが私を育て、 教育してくれたといえる。そして、それら3つは、重要性においては、 皆、等しい価値を持っていたように思われる。 タカガ遊び、されど、、、子供たちは、仲間との遊びの中でも育つ。
| No | 名 称 | 簡単な説明 |
|---|---|---|
| 1 | 巡査ごっこ | 遊び方は10数人以上が(泥棒組)と(巡査組)の二手にわかれます。 寺の境内の広場で巡査組が1から100まで数える間に泥棒組は四散 します。泥棒達は数人のグループに分かれて、町中のかねて見付け ておいた路地裏や物置などの隠れ家に潜り込みます。 それを巡査達が探し廻って、そっと見つけたら仲間を呼んできて表と 裏からわっと一斉に踏み込んで、逃げる泥棒たちを追いかけて身体 に触って名前を呼ぶのです。これで逮捕された泥棒たちは元の広場 に連行されて、手をつないで助けを待ちます。 逃げていた泥棒はそうっと広場にやってきて、逮捕されている仲間の手に触ると全員脱走できるのです。そのため巡査組は捜査班と広場 見張り班に分かれます。 1〜2時間で広場での追いかけっこの末、 全員逮捕となると、役割交代でまた始めます。 (資料提供:高野口町立応其国民学校(初等科)卒、青木亮三氏) |
| 2 | 川魚獲り | 「紀ノ川で子供が獲る魚」 1)ギギ(またはギンギ):おもり付きのドブ釣りでいくらでも獲れたが 背中に針があって刺されると痛い。 2)ねほう(多分、寝呆う):砂床にいて潜って掴み獲りか覗き眼鏡と 銛で突く。ゴリの大きいような黒い小魚で煮るとうまい。 3)ナマズ、やつめうなぎ:淀みや溝に漬け針(たこ糸に大きな針に ミミズをつけて錘付きで一晩置くと、懸かっている) 4)じゃこ釣り(学名はオイカワ):餌は鯖の蛆虫で浮き釣り。 5)瓶漬け、籠漬け:川蟹も掛かる。(資料提供:同上) |
| 3 | 木の実採り | 「食べられる木の実」 1)ドロミ(桑の実)黒くなったのを食べると舌も服も染まる。 2)マキの実(生垣などの犬槇)赤と緑の連珠で赤いところ。 3)グミ、ユスランメ、イチジク:これは野生ではない。庭泥棒 4)アケビ:山家の子でないと手に入らない芸術品 5)野いちご:美しいが食べる部分小さい。蛇イチゴは立派だがダメ。(資料提供:同上) |
| 4 | トロッコ遊び |
高野口の製材所が大火事で全焼して、跡地に
は焼け丸太が長いのも短いのもゴロゴロしていた。 初めは気味悪がっていた子供たちも新しい広場に集まってきて すぐに遊びを考えた。それは隣の敷地との間の背だけ程の 段差に長い丸太を2本斜めに掛け渡してその先の平地にも丸太を できるだけ長くつないでトロッコ線路のために伸ばし, その上に短い丸太を直角にコロの役目をするように 数10センチおきぐらいに何本も並べて置き、転がり落ちないように 消し炭のかけらを拾ってきて詰めておく。 さらにこの転がり丸太の上に焼け残りの長い板を探してきて 線路に沿って斜めに乗せる。 これでトロッコが出来上がると、皆がボスを先頭にして静かに 板の上に順に座る。 .それまで板の先の突っかい棒だけで 動きを止めているのですが、それを外してひとゆすりすると コロ丸太の下の消し炭が潰れてトロッコは活きよい良く発車 して斜めのレールの上を駆け下りその先まで遠く走ってゆく。 最後は板が丸太から外れて皆が転覆する。 なにしろ、舵もブレーキも無い、諏訪大社の神木降ろしより危ない ものだが、みな在り合わせのもので良く考えて組み立てたもので 工夫するとかなり真っ直ぐ走って、成功感満点だった。 火事場が整理されるまで半年ぐらいは毎日熱中した。(資料提供:同上) |
| 5 | 釣り | 子供時代は 海が近くにあるせいもあり ほとんど毎日 海に行き
貝(ガンガラ)を取ったり 釣りをしたり この辺りで釣れるのは
ガッチョ や キス ガシラなどです。 また、小学校に釣りクラブがあり、 クラスの殆どがそれにはいっていました。 海での釣りは サオとリールで 私たちはゴカイをエサに 釣っていました、海老で釣る時もあるのですが 海老は 値段が少し高く 小学生の釣りには高価すぎるので ほとんど ゴカイでした。 こちらの海はテトラポットが 多く その隙間や波止場からリールを使った投げ釣りを したりしていました。 その他にも ザリガニ釣りなと゜もしていました ザリガニは糸にスルメを付けて それをザリガニのいそうな 場所につけると釣れました。 (資料提供:和歌山市在住、Tさま、1972年生、女性) |
| 6 | 戦後の世代 | 戦後で 周りには何もなかったので 石蹴りや
ママゴトや草などで 自然を相手に遊んでいた. 貸し本屋に本を借りて 読んだり 紙の着せ替え人形などで 遊んでいた。 (資料提供:和歌山市在住、N.Tさま、1944年生、女性) ・ |
| 7 | かくれんぼタッチ | (今の子供世代) おに1人を決めて、みんなは20秒よむ間にかくれる。おにが知らない間にその20秒よんだ場所にタッチするとセーフ。 鬼が見つけて「○○さん!」とさけび、タッチするとアウト。(カンけりのようなもの) (資料提供:九度山町在住、女性、1993年生) 。 |
| 8 | 想像してみましょう | (今の子供世代) 何チームかにわかれ、まず1チームめが横にずら〜っと並んで目をつむります。そしたら、ほかのチームが順番にスポーツの名前を言います。そうしたら、1チームめは想像したポーズをとります。そうして、一 番少なかったポーズの人は残念** *そうやって順番に変わっていく。 (資料提供:同上) 。 |
| 9 | 。 | (つづく)。 |


