特集・ケアマネジメントは本当に貧困か

1 社会保障国民会議の資料への疑問

 図1〜3は、龍谷大学社会学部教授の池田省三氏が、社会保障国民会議・サービス保障(医療・介護・福祉)分科会(平成20年7月31日)で用いられたものです。便宜上、図1などの番号とともに、一部、私の疑問点を書き込みました(青枠部分)。

 図1は要介護度別の訪問通所・短期入所サービス利用者の利用単位数分布状況です。要介護1から要介護5までは、各要介護度区分の中で、利用額がゼロ円付近から支給限度額まで、ほぼ均等に分布しています。要支援1と要支援2では中央付近に高原のような平たい部分がありますが、月額定額制のサービスが多いためと思われます。
 池田氏は、要介護度はどれだけ介護の手間がかかるか、というケアの必要量で設計されているから普通こんなことは起こり得ず、図2の左側の図のように、一定のまとまりを示すのが普通であると主張されています。これは、ケアプランが標準化されていないことを示す、とも述べられています。
 また、図3では、要介護度が重度でもケアプランに位置づけられたサービス種類が少ないことを指摘されています。

 同氏は、これらの理由の第1に、適切なケアマネジメントが行われていないことを挙げられています。利用者のニーズではなくデマンドに合わせたケアプランを作る「ご用聞きケアマネ」と。この「ご用聞きケアマネが大半」との主張は、研修会など、他の場でも拝見したことがあります。
 第2に、効果的・効率的な在宅サービスが少ないということ。役に立つ魅力的なサービスがあれば、介護に疲弊している家族は、絶対にそれを離すはずがない、とも言われています。
 第3として、家族のほうにも介護サービスについての固定観念があるのかもしれず、社会的な介護サービスは、家族介護を補完するものであって、擬似家族サービスではないことが認識されていない可能性を指摘されています。

 私は、同氏の主張が全て間違っているとは思っていません。たとえば、たしかに「ご用聞きケアマネ」と呼ばれても仕方がないケアマネはいるでしょう。しかしながら、ご用聞きケアマネが大多数、というのは、私の実感からほど遠いものです。
 同氏が提示されたデータの分析方法についても、いくつか疑問があります。が、ケアマネジメントの質に限らず、もともと、「質の評価」というのは難しいものです。 (余談ですが、あの「介護サービス情報」の悪名が高いのも、対象事業者の高額負担もさりながら、利用者の選択に役立つとは思えない調査方法についても大きな理由になっています。これも、形のないものの評価がいかに難しいか、ということを示しているのかもしれません。)
 ここでは、同氏の主張が間違っている、と断定するのではなく、他にこういう考え方もできるのでは、というものを提示する意味で、少し駄文を連ねてみたいと思います。

図1:「在宅介護の質はきわめて貧しい」と主張する池田氏のグラフ


図2:「ケアプランの標準化が全くできていない在宅サービス」と主張する池田氏のグラフ


図3:「ケアマネジャーはご用聞きレベル」と主張する池田氏のグラフ



2 利用額の一定のまとまりができないと、不適切なケアマネジメントなのか

(1)介護の必要量は要介護度ごとに階段状になっているのか

 要介護認定は、1日に介護の手間がどれぐらいかかるかという基準時間に基づき行われるのが基本です。現在使われている1次判定のプログラムは、施設などでの調査を分析したデータが基になっていることもあり、実際の在宅での介護時間と一致するわけではありませんが、ともかくその基準時間が何分かで要支援1、要介護1相当から要介護5までに区分されます。
 これを介護認定審査会で妥当かどうか検討する過程が2次判定です。
 コンピュータプログラムも完璧に判定できるものではないので、主治医意見書や調査員の特記事項により1次判定と異なる2次判定をする場合があります(これがないと2次判定を行う意味がありません)。
 また、「要介護1相当」は、急性期の疾病などで心身の状態が安定していない状態か、認知症など十分な説明を行ってもなお、新予防給付の利用に係る適切な理解が困難である状態の場合に限って「要介護1」となり、それ以外の場合には「要支援2」と判定されることになります。

 そういう場合がありますが、ともかく、介護の必要量というのは階段状に並ぶのではなく、図4のように右上がりの線で表されると考えられます。なお、要介護度ごとの居宅サービスの支給限度額と、認定の基となった基準時間とは、必ずしも比例して上昇するわけではありません。また、要介護1相当の中には要支援2と要介護1とが混在し、要介護1の人よりも基準時間が長い要支援2の人も存在します。
 ここでは、支給限度額を基に介護の必要量を考えてみます。ただし、要介護1相当の中では介護の必要量だけでは要支援2と要介護1との区別をすることができないので、「要介護1相当」一本で考えることとします。

図4:介護の必要量というのは階段状に並ぶのではなく、右上がりの線で表される


 要介護度ごとの支給限度額が、その要介護度の中のもっとも重度の人の介護の必要量にも対応しているという立場に立つと、介護の必要量は、ひとつ軽度の要介護度の支給限度額からその要介護度の支給限度額まで右上がりの線になると考えられます。

 しかしながら、中には、その要介護度よりも重度になっている人も存在すると思われます。その場合には、区分変更認定申請を行って重度への変更が認定されれば、申請日に遡って新しい要介護度が有効となります。
 ただ、重度になった人が全て即座に区分変更認定申請をするわけではありません。それまでの生活をある程度続けて不自由を感じてからケアマネ等と話し合って申請する場合もあるでしょうし、家族介護力等に余裕がある場合にはそのままの要介護度で生活し続ける人もあるでしょう。また、更新期限が近い場合には、少し辛抱して更新認定を待つ人もあるかもしれません。
 そして、認定の誤差により実際の要介護度より軽度に認定されている例も皆無ではないと考えられます。
 それらを、図5で、「実際の介護度が悪化した」「認定誤差(実際より軽度に)」等の重度群として表示してみました。実際には、ひとつ重度になるか、2段階以上重度になるかはわかりませんが、図5では、1段階重度程度まででとどめたイメージで表してみました。

 一方、認定を受けている要介護度よりも実際には軽度の人も存在すると考えられます。その中には、本人や周囲の努力等により心身の状況が改善した人もいるでしょうし、認定の誤差により実際の要介護度よりも重度に認定されている場合もあると考えられます。
 それらを、「実際の介護度より改善した」「認定誤差(実際より重度に)」等の軽度群として表示してみました。1段階軽度程度でとどめているのは、前述の重度群と同様です。

 図5の緑色の棒グラフが、実際の要介護度(基準時間)に基づくサービス必要量(必要額)のイメージです。階段状の支給限度額とは一致せず、限度額よりも下回る場合が多くなっています。あくまでイメージですが、図1の利用単位数の実状に、少し近づいてきました。

 なお、要介護1相当のうち、認知症や急性疾患がない場合には
「要介護1ではなく要支援2の水準の予防給付を受けることで足りる」
という考え方で現行の予防給付制度は設計されていますが、介護現場の多くの方々や少なからぬ識者が主張するように、給付抑制を主目的にした国のフィクション(虚構)に過ぎないと考えて、図5では採用していません。
(要介護1相当の人の中に、予防給付が適当な場合もあることを全否定するわけではありません。「認知症や急性疾患がない場合には機械的に要支援2」という認定システムが不適切という意味です。)

図5:同じ要介護度内でも介護の基準時間は差がある


(2)適切なケアプランは、介護の必要量に比例したサービス量でなければならないのか

 それでは、介護の必要量が出れば、それに比例したサービス量のケアプランが必要なのでしょうか。

 「指定居宅介護支援等の事業の人員及び運営に関する基準」(平成11年厚生省令第38号。一般に、居宅介護支援事業の「基準省令」と呼ばれます。)の第13条では、指定居宅介護支援の具体的取扱方針について規定されています。

 その第6号では、介護支援専門員は、居宅サービス計画の作成に当たっては、
A:利用者について、その有する能力
B:既に提供を受けている指定居宅サービス等のその置かれている環境
等の評価を通じて利用者が現に抱える問題点を明らかにし、利用者が自立した日常生活を営むことができるように支援する上で解決すべき課題を把握しなければならない、と規定されています。

 また、第8号では、
C:利用者の希望
D:利用者についてのアセスメントの結果
に基づき、
E:利用者の家族の希望
F:当該地域における指定居宅サービス等が提供される体制
を勘案して、当該アセスメントにより把握された解決すべき課題に対応するための最も適切なサービスの組合せについて検討し、利用者及びその家族の生活に対する意向、総合的な援助の方針、生活全般の解決すべき課題、提供されるサービスの目標及びその達成時期、サービスの種類、内容及び利用料並びにサービスを提供する上での留意事項等を記載した居宅サービス計画の原案を作成しなければならない、とされています。

 A・Bをきちっと評価していくと、図5の緑色の棒グラフとは異なる曲線により、実際のサービス必要量が導き出されると思います。家族の介護力というのは家庭によって相当の差がありますし、家庭内のハード面でも、たとえば手すりとシャワー式トイレがあれば排泄がほぼ自立、という例もあります。
 また、C・Eの利用者・家族の希望を勘案すること自体は、「ご用聞き」とはいえません。デマンドに見えることの中にも、利用者の自主的な行動を促すためのヒントが隠されている場合もあります。
 これらの状況によっては、重度の要介護者であっても、1〜2種類のサービスで事足りるという場合もあり得ます。たとえば、本人の状況から外出(通所サービスなど)は困難、複数の家族が体力的にも技術的にも介護力があり、ベッドなどは購入済、訪問看護だけが必要、というような場合です。
 また、月の途中で入院したり退院したりする場合は高齢者では珍しくありません。そういう場合には、必要なサービス量は1か月分ではなく、日割で考えるべきでしょう。たとえば、月の真ん中で入院した場合には、本来は限度額いっぱいのサービスが必要な人だったとしても、半分のサービス量で済むはずです。

 図6の青い斜線の部分が、それらを考慮に入れた実際のサービス必要量のイメージです。理念的には、これが理想のケアプランの水準といえるかもしれません。
 これでも、図1の緑の領域(現実のサービス利用量)とは差がありますね。

 なお、要介護1相当の中には、実際のサービスの必要量には関係なく、要支援2に認定された人と要介護1に認定された人が混在していると考えられます。要支援2で実際のサービスの必要量が限度額を上回る(というより、月額定額報酬の水準を上回る)人については、適切なアセスメントを行って必要なサービスを提供するがために事業者が泣くか、事業者が必要なサービスを提供しないがために利用者が泣くか、という事態も起こり得ると思います。この予防給付についての問題は、可能なら別の機会に取り扱いたいと考えています。

図6:支給限度額と実際のサービス利用量に差が生じるのはケアマネが原因とは限らない


(3)理念どおりのケアプランが実現しないのは、全てケアマネの責任か

 次に、理念的な理想のケアプランと、現実のサービス利用量との格差について考えてみましょう。図6の、要介護3でいえば、赤の縁取りをした黄色の線で囲った領域です。

 先に紹介したように、池田氏は、
第1に、適切なケアマネジメントが行われていないこと(ご用聞きケアマネジャー)
第2に、効果的・効率的な在宅サービスが少ないということ
第3に、家族の介護サービスについての認識の問題
を指摘されています。

 私は、ご用聞きケアマネの存在自体は否定しませんが、それよりも、
ア サービスの供給量(本当は「サービスの質」も重要ですが)
イ 利用者側の要因
を挙げておきます。
 順番は別にして、同氏の指摘と似ていないこともありませんね。

 でも、このサービス供給の問題は、ケアマネジメントにとって、他の問題にも負けないぐらい重要な意味を持つと考えます。


 ア サービスの供給量

 基準省令第13条第8号について触れたときに、

F:当該地域における指定居宅サービス等が提供される体制

も勘案する必要があることを述べました。

 では、指定居宅サービス等が提供される体制は、整っているのでしょうか。

 図1の資料では、池田氏は平成19年10月審査分の数値を用いられています。主に9月に利用されたサービス費の請求について10月に国保連で審査されたデータです(月遅れの請求もありますから、9月の実利用額と完全に一致するわけではありません。)。
 私も、9月の実利用額に近いデータとして、「介護保険事業状況報告」月報(暫定版)の平成19年11月報告から分析することにしました。9月現物給付、10月償還給付分ですが、大まかな傾向を探るためのデータとしては、池田氏のデータと時期的に大差はないと思います。なお、暫定版の月報を使う理由は、保険者(市町村)ごとの数値を簡単に入手できるデータがこれしか見つからなかったためです。

 まず、基本的な居宅サービスの中で、高齢者が在宅生活を維持するために必要性が高い医療系サービスとして、訪問看護を見ることにしました。さらに、訪問看護ほど一般的ではないにしても、介護保険制度の理念に照らせば重要なサービスとして、訪問リハビリについても見ていきます。

 図7の横軸は、居宅サービスと介護予防サービスの受給者1人が、訪問看護と介護予防訪問看護(以下、特に断りがない限り、各サービスには予防給付分を含むこととします。)を平均でどれだけ利用したか、という指標です。また、縦軸は、訪問リハビリ(こちらも介護予防分を含みます。)の、同じく平均利用額です。その中に、各都道府県の状況を配置してみました。
 1人当たり訪問看護利用額の全国平均は、この月で3,349円です。47都道府県での最高は、福井県の4,696円。神奈川、東京の他、近畿周辺が高いのが目につきますが、なぜか大阪府は全国平均とそれほど変わりません。最低は、香川県の1,396円で、全国平均の42%にしかなりません。九州・沖縄の各県も低い傾向にあります。
 訪問リハビリの1人当たり平均利用額の全国平均は367円。これ自体、訪問看護よりもかなり低い水準に見えますが、サービスの必要性に差があるので、一概にはいえないところです。都道府県別の最高は、徳島県の1,081円。これはかなりのダントツですが、長野、愛媛も高い水準にあります。特に長野は、訪問看護と訪問リハビリがバランスよく高水準ともいえます。最低は、青森県の91円で、全国平均の25%に過ぎません。東北から北関東にかけても低い水準の県が目につきます。

 これらのサービス利用の低調な県は、介護支援専門員のケアマネジメント能力も低レベルなのでしょうか。それとも、訪問看護や訪問リハビリの必要性が低い高齢者が多いのでしょうか。いずれの考え方も現実的とは思えません。やはり、サービスの供給量が低い、と考えるのが妥当でしょう。

 保険者別で見ると、各サービス利用のばらつきは、さらに大きくなります。
 図8の縦軸・横軸は、図7と同じデータから計算した、訪問看護・訪問リハビリの1人当たり利用額です。ばらつきが大きくなったため、単位の目盛りが異なることにご注意ください。
 訪問看護が全国平均の2分の1にも達していない保険者が417箇所。これは、全保険者1,669箇所中の25%を占めます。保険者数の単純計算での比率で、被保険者数の25%を占めるわけではありませんが、仮に1号被保険者数で計算したとすると、1割を超える人々が全国平均の半分未満しか利用のない地域に住んでいることになります。訪問看護0の保険者も49箇所(2.9%)あります。
 訪問リハビリに至っては、さらに深刻で、全国平均の2分の1未満の保険者が820箇所(49.1%)。訪問リハビリ0の保険者が438箇所(26.2%)にも及びます。
 訪問介護が0の保険者は3箇所(0.2%)、全国平均の2分の1を下回っている保険者は298箇所(17.9%)であるのと比べると、訪問看護・訪問リハビリの方がばらつきが大きいことがよくわかります。
 ちなみに、通所介護が0の保険者は5箇所(0.3%)、通所リハビリが0の保険者は79箇所(4.7%)となっています。同じリハビリ系でも、通所の普及率の方がマシということでしょうか。

 これらの医療系訪問サービスについては、医療機関は「みなし指定」の制度があるので、看護師や理学療法士などの人員の確保ができれば、供給量を増やすのは、制度上はそれほど難しいことではないはずです。しかしながら、その「人員確保」が相当に難しくなっています。訪問看護の利用額が高い位置にある東京ですら、看護師確保がかなり困難な状況にあることが報告されています。

図7:都道府県単位でも訪問看護や訪問リハビリのばらつきは大きい


図8:保険者で見ると、訪問看護や訪問リハビリのばらつきは、さらに大きくなる


 イ 利用者側の要因

 理想のケアプランが実現できないことについての利用者側の要因については、次のようなものが挙げられます。なお、「利用者側」には、介護サービス利用者本人の他、家族も含みます。

・経済的要因(貧困、経済的虐待など)
・精神的要因(性格、生活歴、精神疾患など)
・社会的要因(親族関係、世間体など)

 経済的要因というのは、端的に言えば、理想のケアプランによる介護サービスに必要な利用者負担を支払う金がない、ということです。
 池田氏は「役に立つ魅力的なサービスがあれば、介護に疲弊している家族は、絶対にそれを離すはずがない」と言われています。もちろん、そういう要素を全面的に否定するわけではありませんが、一方、介護よりも必要性が高いと思われる医療費や医療保険料ですら滞納する人々が珍しくない時代です。いくら魅力的なサービスでも、曲がりなりにも家族で代替できるものなら、その金はヘルパーに払わずに米代に充てる、という人はいるでしょう。生活保護適用の可能性を福祉事務所などに相談しながら最低限の介護サービスをつないでいる、というケアマネも少なくないと思われますが、いずれにせよ、生活保護申請するかどうかは、ケアマネではなく、利用者や家族が決めるべき問題です。
 また、高齢者本人に介護サービスを利用できる程度の年金収入があったとしても、管理している家族が使い込んでいる例もあります。経済的虐待の可能性が濃厚なケースでは、市町村や地域包括支援センターなどと連携しつつ関わっているケアマネもいるでしょうが、市町村が老人福祉法上の措置を発動しない限り、なかなか解決に至らないことも少なくありません(市町村の姿勢もかなりの差があるようです)。ここでも、理想のケアプランと現実との狭間で、ケアマネは努力を続けることになります。

 精神的要因による問題というのは、たとえば、本人や家族の性格、生活歴等により、家の中に他人を入らせない。あるいは、特定の人(信頼を得たヘルパーなど)しか入らせない、というものです。通所サービスなら応じる、という場合もありますし、逆に、外に出たがらないという人もあります。
 客観的に見て必要なサービスが利用されていない、という状態が、関係機関で確認されているような場合なら、受け入れられやすい人やサービスで様子を見ながら、徐々にサービスを増やすことを試みることになります。
 また、認知症、精神疾患、知的障害など、正常な判断が難しい要因がある場合には、精神科医など、その要因の専門職等と連携していくことが重要です。
 これらの過程の中では、重度者であっても単品サービスのみの利用ということはあり得ます。その時点の状況のみを捉えて、不適切なケアプラン、ご用聞きケアマネ、などと評するのは、妥当ではないと思います。

 介護支援専門員は、ケアプランの原案は作りますが、利用者や家族の希望を、それがデマンドに見えたとしても、全く勘案しないわけにはいかないでしょう。また、サービス担当者会議を経てケアプランが完成したとしても、利用者側の同意を得なければ、正式な計画にはなりません。
 ケアマネは、どこかのお話に出てくるような、気に入らない客には「金は要らないから帰ってくれ」と叫ぶような職人カタギの寿司屋にはなるわけにはいかないのです。
(そう叫びたい人は、いるかもしれませんが。)
 そんなことはないはずと思いたいのですが、厚労省の職員や、その関連の審議会などの委員の方々は、
「高齢者や家族は無知なので、ケアマネが良いプランを作ればすぐに承諾するはず」
などと思ったりしていませんよね?

 なお、最後の社会的要因ですが、これは介護保険が始まる前から見ると少なくなったように思います。
 以前は、特に田舎では、世間体を気にして、介護サービスを利用すると、嫁の役割を果たしていない、と責めるような(といって、自分自身は何も手伝わない)無責任な親族がいたものですが、皆無とまではいいませんが、きわめて少なくなったように思います。
 介護サービスを利用して生活するというモデルが社会に浸透し、公認されたということでしょうか。
 これは、介護保険が始まったことによる大きな成果のひとつといえるかもしれません。


3 とりあえずのまとめ

 いかがでしょうか。
 ここまで、図1〜3の状況があっても、ケアマネジメントが不適切とは限らない、という考え方について述べてきたつもりです。

 もっとも、現在、全国の介護支援専門員が担っているケアマネジメントに、全く問題がない、とは私は思っていません。
 ただ、平成18年4月に厚生労働省が断行したように、ケアマネは信用できないからといって、軽度者のケアマネジメントを切り離し、「要支援2と要介護1」という心身の状態が揺れ動きやすいところでわざわざケアマネジメントの断裂を作ったような方法は、他にいかなる口実があったとしても、評価することができません。だいたい、軽度者のケアマネジメントをまかせることに信用がおけないのなら、それよりも難しい(と厚労省は考えているはずです。報酬体系を見る限りは、ですが。もっとも、実際のケアマネジメントの難度は、要介護度自体には必ずしも依存しないと考えるのが介護現場の常識でしょう。)重度者のケアマネジメントを担わせるのは、妥当なはずがありません。

 そういう方法ではなくても、不適切なケアマネジメントを減らし、現場で努力するケアマネがいくらかでも質を高めていくことを支援するような方法はあるはずです。

 そのあたりについては、特集「不適切事例と適切事例」で考えていきたいと思っています。

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